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幼い頃、母親の愛情のみで育っていったシド・ヴィシャス。彼が5歳の頃に父は家に帰らなくなり、家庭環境は決してよいものではなかった。まだ彼のバイオグラフィを読んだことがない人は、きっと衝撃を受けるだろう。不良のようなイメージがある彼が、これほど繊細で純粋な人間だったのかと。
セックス・ピストルズがUSツアーに失敗し、分裂したあと、シドはソロに転向することを決意した。ロンドンに戻り、ピストルズの前ベーシスト、グレン・マトロックとバンドを結成したり、映画「THE GREAT ROCK'N'ROLL SWINDLE」に出演したりと有意義に過ごしていたシドであったが、影ではナンシーとヘロインとセックスの荒んだ日々であった。
1978年の夏が過ぎようとしていたころ、ナンシーはイギリスに飽き始め、次第にアメリカへ帰りたくなっていた。そこでナンシーはニューヨークのほうが、退廃的なロック・スター生活を送れると吹き込み、かねてよりニューヨークに魅力のあったシドはアメリカへ渡ることを決意した。正直、二人ともイギリスでの生活にうんざりしていた。彼らが公衆の面前に出れば必ずといっていいほど、シドは通りで喧嘩に巻き込まれ、かねてより麻薬取り締法違反によって容疑がかけられていたこともあり、警察と大衆の両方からの攻撃に脅えた二人は内向的になりアパートに閉じこもるようになっていたからである。
1978年8月24日、二人はアメリカに渡るため、ヒースロー空港へ向かった。ニューヨークに着いた彼らはウェスト通りの23番街にあるチェルシー・ホテルにチェック・インした。それは荒廃した麻薬天国で、街の中で始めて保護条例が適応された危険な場所でもあった。ジャンキー、泥棒、ギャング、その他あらゆる犯罪者で埋め尽くされた1階〜3階には、通常の住民は決して近寄らないようにしていたが、彼らは1階の100号室に住み始めた。
二人がニューヨークへやってきたのには幾つかの理由があった。彼らはイギリスにおける警察による攻撃、シドに向けられた大衆による暴力、重苦しい雰囲気といったものにうんざりしていた。シドの頭の中はナンシーから吹き込まれたニューヨークの夢で一杯で、自分の目で確かめたくてしょうがなかった。これらの事に支えあって生きてきた彼らは、結婚して新しい人生を始めようと考えていたが、現実は理想から程遠く、チェルシーに住み始めた途端に物事はガラクタのように音を立てて崩れ始めた。
イギリスで感じた束縛感から離れるどころか、ニューヨークでの生活はそれを助長させるだけだった。シドは元ピストルズとして有名で、その肩書きゆえにイギリスにおける以上の暴力に直面することとなった。麻薬の習慣を断つために受けに入った診療所で毎日のように襲撃を受けた。恐怖のあまり体重は激減し、弱った体は栄養不足だったにもかかわらず、恐ろしいまでの暴力が定期的に加えられた。ピストルズがなくなった今、シドの名声は急速に衰えていき、大衆は彼の麻薬問題に関する一時的な興味しか示していなった。
10月に入り孤立した彼らは落ち込んでいた。シドはロンドンが恋しくなって家に帰りたくなりハロウィンの夜のショーが終わったら必ず帰ると約束した。だがシドは再びイギリスに戻ることは無かった。10月12日、シドは麻薬中毒の数少ない仲間たちとショッピングに出かけた。彼らはタイムズ・スクエアのナイフ・ショップに立ち寄った。シドは叩きのめされることに疲れ、素手以外に自分を防御できるものを探していた。そして彼は折りたたみ式のハンティング・ナイフを購入。全てが終わりを告げようとしていた。
その日の夜、彼らは麻薬を手に入れようと必死で、シドは補給する当てを探そうとホテル内をうろついていた。そこに黒人が現れ人種差別という見当違いの罵声を浴びせられ、殴り合いとなったシドは鼻の骨を折る重傷を負った。シドは怒りに震えながら部屋に戻ったが、ナンシーに麻薬を持ってこなかったことをあざけり笑われ、先ほど殴られたばかりの箇所を殴りつけられた。シドはカッとなって口論の挙句ナンシーの腹部を刺した。彼らは毎日のように喧嘩をし、時にはギターでナンシーを殴ったこともあるほどであったが、いつもすぐ仲直りをした。今回もすぐに仲直りし、麻薬を服用していたためか、傷に気づくこともないまま二人はベッドで眠りについた。
次の朝、目を覚ました彼が見たのは、風呂場近くで血だらけになって死んでいたナンシーの姿だった。自分が刺したことも分からない彼の頭によぎったのは、彼女が殺されたということ。生き返らせようとしたが、無理と悟り、すぐさまロビーに救急車を要請したが、5分後に来たのは警察であった。10月13日、第2級殺人罪で逮捕されたシドは、刑務所の薬物リハビリ棟に送られ、またしても暴力による悪夢の4日間を過ごすことになる。ヴァージンの保釈金により釈放されたが、12月9日にまたも傷害罪で逮捕され2度目の刑務所生活をすごす。ここで再度、暴力をうける羽目になった彼は2月7日、保釈金により釈放。刑務所の門をくぐり歩きながら彼は拳を空に掲げて勝利のポーズをとっていた。だが、その12時間後に彼は死んでいた。
出所した彼は仲間たちとすぐにパーティーを開催。そこで彼は純度の高いヘロインを服用。しかし刑務所に2ヶ月ほどいた彼の体は洗浄されていてヘロインを受け付けなかった。たちまち発作がおき、唇が青くなり、肌は灰色を帯びてきた。彼はベッドに連れて行かれ、毛布がかけられた。しばらくして彼は、眠る仲間たちをよそに一人ヘロインを摂取した。
翌日、シドの母親は紅茶を2杯入れてシドの部屋に持っていった。シドはシーツの上に裸で寝転がっており、シドの母親はシドが死んでいることに気づいた。
シド・ヴィシャスを知るカメラマンのデニス・モリスは彼のことをこう語っている。
ベースはそんなに上手ではなかったよ。でもベースを持って立っているだけで本当に絵になって、シャッターを押さずにはいられなかった。バンドには欠かせない存在だったんだ。もし彼が生きていたら、間違いなくビックスターだったと心から思うよ・・・
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