愛知万博終了へ

 1 愛知万博の大嶋的評価 万博全体に対する評価
 愛知万博は、どうやら成功裡に終わりそうである。だが、行って来た僕としては、あまり楽しめなかった。環境博、と言うから、どれ程のものかと思ったが、環境博の趣旨を疑いたくなる開発っぷり、そして名古屋度の少ない会場・・・
 まず、環境博云々から言わせていただく。別に僕は、地球環境がどうこうってことに、そんなに興味があるわけではない。人間が地球環境を蝕んでいても、まだ生きていられるということは、それが地球の意志の代弁であると考えるほかはあるまい。環境破壊の中にさえ、地球という大きな意志を見るほかはないのだ。
 しかしながら、環境問題は対人関係である。人間は、別にほかの動植物の為に環境保護をしてはいない。他の動植物の為に環境保護をすることはありえないし、出来ない。それは、その為に多くの人間の犠牲を払う可能性がある為である。ところで、多くの公害が、富める多数のために、貧しい少数の者を、わざわざ見殺しにしたものであること、あるいは、戦争そのものが大きな環境破壊であることを考えれば、環境破壊の対人暴力性そのものを考えるしかない。他人が嫌がっているところへ態々廃液を垂れ流したり、酸性雨を撒き散らすような工業を行うだろうか。それが環境問題だと、僕は思っている。
 また、上記のように、環境破壊の放置は、暴力の礼賛になる。

 さて、今回保全されるべき環境は、愛知高原の周辺地域だったのだ。それを立派に保全して見せてこそ、世界に訴える何かがあろうと言うものだった。愛知高原の玄関に当たる施設、老朽化した青少年公園の再改築と言う観点では、確かにこの企画の良さはある。しかし開発は、それを上回るべきではなかったはずである。何故なら、地方自治体財政や国庫という「社会的環境」にも配慮を図らねばならず、この万博で一体どれ程の公金が注ぎ込まれたかを苦慮せざるを得まい。環境博の名の下に大開発をすることはまた、「環境と銘打たれればどれだけ開発をしても構わない」という発想になりがちであり、そこが僕の一番気に入らなかった点である。それに、愛知高原の玄関口を整備するというよりも、単に客集めの場所に長久手東部を選んだに過ぎない気がする。これでは名古屋らしさや、愛知らしさは伝わってこない。現に、万博で名古屋市⇔三河北部への交通ルートが、万博の交通規制で分断され、三河北部への観光客や、せともの祭りの見物客は減少したと聞く。


表紙へ