さて、名古屋人の性格が災いしている、というのは次のようなことである。名古屋とか愛知県は、元々が豊穣な穀倉地帯に囲まれており、江戸時代までの農業社会においては、食うのに困らない人々によって構成されてきた。そんなわけで、蓄財もされやすかった。この手の地方の人が野心的になるのは、その資産の運営に困る事態が発生する場合を想定するしかない。野心的であるということは、多かれ少なかれその人が猟人的な気質を持っていることを意味する。しかし、農耕で食っていける人は猟人的であることを「割に合わない」と考えるだろう。リスクを背負いたくないのだ。
そんなわけで、天下3英傑と呼ばれる人々が清洲・名古屋・岡崎から輩出したというのも、つまりは戦国時代という、極めてリスクを嫌ってもリスクから逃れられない時代、という時代があればこそである。愛知をバックに天下を統一したのは、その*財力にものをいわせたと考えて良いだろう。しかしながら、3英傑は名古屋には帰って来なかった(徳川家康はかなりの権力を愛知に還元したが)。そして3人ともが自分で都を作っている。思うに豊かな穀倉地帯というのは、土豪の既得権が覆しがたく、そこで新しく全国展開の事業をやる、と言うには向かないのだろう。だから都と言うのは、交通の便が良く、かつ、**それ以外あまり魅力の無いところに、新しい魅力として新築される(名古屋の首都誘致主義者は何かこの辺を勘違いしているようだ)。そして3英傑の3人ともが、名古屋にいたのではビッグな英雄になれないことを分かっていた感がある。
名古屋が「芸どころ」と呼ばれるようになった宗春時代は、多分名古屋にとっても何度か目のデフレ時代だったのだ。それを打開するべく宗春は、享保の改革に反対して遊びを奨励した。ケチな名古屋人が、文化というリスクの高いものに手を出したのである。「名古屋で受ければ日本のどこへ行っても通用する」という宗春の生み出した潮流は、絶対に「東京で受ければ日本のどこへ行っても通用する」というものとは趣が違う。東京という情報先行型の都市においては、実体を伴う確かなものは政府文書くらいのものである。情報ばかりが行き交いする所で、情報が商品価値の大半以上を占める文化に対する目が肥えるのは当然である。しかも東京においてすら、情報ばかり行き交いし、それが異常に高い・安い價格で取引されるようになったのは、かなり最近の話である。
名古屋の場合は、「ケチな名古屋人の財布を開かせるような文化なら本物」という意味になるのではないだろうか。あるいは「日頃は黙っていても食うには困らない名古屋人が、いよいよ自分の地盤だけでは食っていかれない、だから余所者に投資をする」という事態ではないのか。
上のような理由で名古屋人は、観光という文化、つまりは見かけの良し悪しだけでその値打ちを決められてしまうものに、あまり積極的に手を出して来なかったのではないだろうか。これが一概に悪だと決め付けられる理由など無いはずである。名古屋人には気概が無いということだが、「気概」はともすると、俗物のものになれば、他人への憎しみと結合しがちだ。「人を蹴落としてでも」という感情になりがちなものなのである。名古屋人が同郷人で結託しがちなのは、要は農民根性なのだ。地元民とこそこそと話し、ビッグな英雄にならないからと言って、一体何がそんなに悪だというのだろうか。先日誰かが「名鉄が愛知の観光開発をやっていたからいけなかったのだ。西武とかトヨタ自動車にやらせるべきだった」と言っているのを聞いたが、愛知県民とか名古屋市民の感情を無視した開発をする「べき」だ、という意見こそ、凡そ矛盾している。
大体僕は大規模な開発は、観光地の地味を損なうから御免だと書いたはずである。
さて、現状において名古屋人は食うに困らないのか、と言うと、案外そうでもないのである。名古屋も都市化してしまった。ということは何を意味するか。農業・工業製品の自給ができなくなったということである。おまけに愛知県自体は、県政の破産が秒読みに入っている。今さかんに諸経済雑誌が言う「名古屋経済は元気である」という喧伝は、再びケチな名古屋人の財布を開かねばならない事態か、あるいは「日頃は黙っていても食うには困らない名古屋人が、いよいよ自分の地盤だけでは食っていかれない、だから余所者に投資をする」事態に入っていることを意味しているように思えてならない。デフレの出口がちっとも見えないからである。東京人の書く経済雑誌のプロパガンダや踊らせ文句はまた、日本全体へ向けた投資を、名古屋人とか愛知県民にさせているとも取れるのだ。戦国時代や宗春時代は、ある意味「日本の破綻の時代」だったのである。今度もまた、日本の破綻をぞろ聞かされる事態なのかもしれない。
こうして再び、名古屋人が文化というリスクだらけのものへの投資をすることを余儀なくされる。県内に観光地を造るということは、リスクを県内に抱え込むということである。
* 話は遡るが、足利家もその財力のかなりを三河足利氏に依存していた。
** 都というのが交通以外魅力が無い、というのは、例えば平家滅亡の原因になった飢饉から、京都一帯が逃れられなかったことからも窺い知れる。平安京の藤原氏摂関政権は建都から400年もこれといった農業的地盤を作り出せなかったのである。