このページに前に来てくださった方の中には、私が上海時代の
写真を公開していたことを覚えていらっしゃる方もおられると
思います。しかし、思うところがあって、それを取り止めるこ
とにいたしました。それは、いくら写真を公開しても、陳列
に過ぎないということです。「インターネット上の使用可能な
資材は有限なので、私はそれを民衆一般に対する建議とか、
特定の物事への勧誘に振り当てるべきである」という、私が
ホームページを始めた頃の初心に立ち帰った時、上海の頃の
写真を公開しても意味がないと考えるようになりました。
それでも少しの写真だけは残しておきます。その内の一枚は、
自分が
アパートに住んでいた頃の反法輪功のアンドンの写真です。
法輪功と言うのは、中華人民共和国全土において(もちろん
台湾省以外です)禁止・弾圧されている宗教団体の名です。
私がアパートにいる頃、一度だけ彼らが助けを求めて、家々に
ビラを入れて行ったことがあります。名古屋で今語学の
お世話になっている人の話だと、法輪功の信者は獄中で食事を
拒んで殉教しようとするのですが、刑務官が無理やり口に
食事を押し込むのだそうです。
私が住んでいたアパート。アンドンに「科学知識を学習し、迷信を打破しよう」というスローガンが書いてあるが、これはまるで法輪功みたいな宗教に向けられているみたいでぞっとする。社会主義国家に於いては、しばしば大革命期のフランスみたいに、科学的・理性的であることが強要される事態に直面するのである。私が上海に行っていた頃、子供らさえ「最悪の悪党は李洪志(法輪功の教祖)である」としばしば口にしていた。それらの影では、宗教にすがらざるを得ないほど心の弱い人々、あるいは少数派がどれほど泣いていたことだろう。
法輪功について上海の子供らはどう思って いるか
子供らは相当洗脳教育を受けているらしく、オウムの麻原
並みの悪党だと思っているようです。多くの書店では、反法輪
功の教育パンフレットが売られていて、公園では「法輪功の
練習を禁止する」と書かれています。
教育書のうちの一つ「学校は邪教を拒む」(原文「校園拒絶
邪教 ―認清”法輪功”的邪教本質」、西歴2001年中国法制出
版社)は、その76頁で、国際世論の、中華人民共和国のこの
宗教弾圧に対する批判について、法輪功が外国勢力と組んで政
府転覆を企んでいると書いています。それに関する証拠は何処
にも記されていません。


法輪功が家々に入れていった助けを求めたビラ。
「お前が左翼だから良かったようなものの、右翼だったら
殺してしまっても構わなかった。」これは私が日本語学校で
バイトをしていた時に、上司に言われた言葉です。小泉首相
が靖国神社を参拝する・・・上海の新聞はこぞってこれを批難
しました。これに対して私は賛成しません。が、それが在中の
日本人を殺してもいいという理由になどならないはずです。
私はその上司の発言の直前には、実際、憤怒の目をした
10代の学生に取り巻かれていました。その学生の何人もが私
に、靖国賛成か
反対かを聞いてきたのです。仮に私が靖国賛成の発言をして、
殺されたと仮定してみましょう。大概中華人民共和国の会社に
は、コミッサールがいるのです。コミッサールは本来ロシヤ語
で、中国語で何と言うかは知りません。これは共産党から
会社の職員のお目付けをするために派遣されてくる者のことで
す。会社の存亡は、これにその一切を握られています。
私がもし殺されたら、コミッサールが動かざるを得ない
はずです。しかし、靖国賛成だったら、コミッサールも見て見ぬ
振りをするのではありますまいか?警察も乗り気でない捜査を
するでしょう。日本国内で私の消息が心配される時分には、
私の死亡は事故か何かにすっかり偽装されている・・・私は
冗談を言っていません。
「横浜路」という上海の通りの掲示板。もともとこの通りは、旧日本租界内で、日本の病院がここにあったことを記念して付けられた、いわば日中友好の象徴だったはずの通りである。ここの掲示板に、小泉首相が「教科書を作る会」の教科書を修正しないとして、抗議する新聞が掲載されている。
中華人民共和国の子供らは、子供の頃からドイツや、日本に
対する悪意を抱くようなマスコミや教科書に育てられます。
この理由の一つが、共産圏の建前が「反法西斯」(アンチ・
ファシズム)なので、第2次大戦時代ファシズムを謳っていた
日独伊に反対しないことには、政府の正当性が維持できない
のです。今私がお世話になっている人は、こう言っています
「私は
英文学科に行きたかったが、成績が足りず日本語学科に行か
ざるを得なかった。私はいやだった。子供の頃からずっと、
私たちは日本人が悪であるという教育を受けて育って来たのだ。
私は渋々行ったその学科で初めて日本人による教育を受けた。
私は、日本人の中にも良い人がいるのだと知って驚いた・・・」
もう一つ、私が南京に行った時のこと。その時は私は復旦大
学に所属していましたが、その際の先生に「あなたは南京に
行ったといいますが、虐殺記念館には行ってきましたか?」と
聞かれた。私は行かなかった。それは、南京虐殺は真偽説分
かれている
が、日本人の当事件の否認傾向も、中華人民共和国の主張も
どちらも信じなかったからだ。しかし、確かに人が死んだ。
多くの人が殺された。このことだけでも、私の同情心を
掻き立てるには十分、いや、十二分だった。中国人が
私の同情心を煽って
如何様に利用しようというのか?確かに戦争犯罪は消えない。
しかし、その告発を以って私を反日的な人間に仕立て上げよ
うというなら、それは単なる日本に対する復讐だ。
中華人民共和国の人は一体いつでも日本人と見るや上記の
ように靖国を持ってきて挑発しようとしたり、南京虐殺を
全部肯定させることで彼らの主張のままにさせようとするのか。
対日復讐は、和平の精神と相容れない。中華人民共和国に
長く居たら、私はかの国民の復讐の走狗として染められて行く
だけだ。しかし私は日本人だ。その復讐は、私を心を侵すこと
にしかならなかった。「私は日本人だ。だから自分を責めろ。」
と自分を苛めることにしか。
私は自分の心の死の進行を感じた。
でも私は、心のどこかでは思っていた、それは、自分の尊厳を
傷付ける
こともまた、他人の尊厳を傷付けるのと同じような罪悪だと。
中華人民共和国の風潮は、日本人である私に自虐を勧める
ものがあった。それは、あの戦争に対する反省と
似て非なるものだった・・・
そして、ついに
その死から去った。西暦2001年12月、私は日本へ帰国した。
そのサヨナラの意味を自覚するまで、長いこと時間がかかった。
だからこの前まで、上海の写真を陳列しながら、とても
空しい思いでいっぱいだった。その空しさの意味を、こ
こ数週間まで理解できなかった、自分のことなのに。
でも今こそ、私は言える、日本人は親日的な国と付き合わなけれ
ばならない、と。復讐心で以って近付く国とは、付き合ってはな
らない、と。それは自殺に等しい行為であり、徒に日本国民を
傷付け、悲しませるだけだ、と。